世に出ている音楽のほとんどのボーカルパートは「ピッチ補正」されています。
ピッチ補正は、一昔前のPefumeのようなケロケロ系から、ほとんど気付かないナチュラルな補正まで多種多様です。
音楽の聴き方は誰に教えられた訳でもなく、人それぞれなので、受ける印象も人それぞれです。
今回は、そんな賛否両論あるピッチ補正について考えてみます。
ケロケロとナチュラル
大まかに区別すると、強めの加工であるケロケロ系と、一般的によく使われるナチュラル系に分かれますが、
ケロケロ系の場合、「これずるくない?」と思う方もいるでしょう。
なぜずるいと思ってしまうのか。
それはきっと「歌唱力が無くても上手に歌えてしまう。歌の実力がなくても人前に出て歌ってお金貰って、ずるい!」という感情と推察します。
こう思う方は「歌」に価値があると思っています。
歌唱力です。
ただ、一般的に「歌に価値がある」と思っても仕方ありません。
カラオケ、テレビの音楽番組など、歌が主役というイメージが出来ています。
一方で、DTM系の制作側としては、オケ(歌以外の演奏)を含めて楽曲です。
「歌」は全体の一部です。
強めの補正でもナチュラル補正でも、楽曲としての完成度が高まればどっちでもOKなんです。
このリスナー側と、制作側の違いにより、「ずるくない?」のような考えのズレが生じてしまうのです。
価値があるのはどこか
先ほども言いましたが「歌」に価値がある場合は、ピッチ補正することで価値が下がってしまうかもしれません。
氷川きよしがPefumeばりのケロケロ加工でワンマンライブしたらきっとクレームになりますよね。
AKB48がケロケロ加工でライブしたら、ファンは歌唱力というよりは「アイドルの生の声」が聴きたい心理が多いと思うので、加工して個性が消されるのは納得いかないはずです。
※余談ですが、Pefumeが当初すごかったのはアイドルなのに声の個性を消したから、でした。曲を制作している中田ヤスタカはアイドル作曲家ではないので、楽曲としての完成度を高めるためを考えてケロケロ加工し、その自然に起きた「掟破り」こそが良い違和感となり、楽曲の完成度と合わせてブレイクしました。
一方で、歌唱力ではなく「楽曲そのもの」に価値があれば、ケロケロ系のピッチ補正しても価値が下がることはありません。
音楽プロデューサーが自ら歌唱している場合など、tofubeatsが僕の中では1番良い例です。
こういった方は、楽曲全体を制作していることに価値があるので、歌は一部なのでケロケロ系でも価値は下がりません。
そのアーティストとしての商品が「歌唱力」なのか「楽曲全体をクリエイトすること」なのか。
ここが大きいポイントのようです。
おわりに
最終的には、グッとくるかどうか、です。
ケロケロ加工した結果、人間特有のズレが失われ、良い要素まで消してしまうことになります。
迷ったときは自分の価値はどこあるのか、を考えてみると良いかもしれません。