DTMソロ活雑記

MAAA「Reason」2023.7.14 Release


ボーカルのピッチ補正はずるいのか?【AutoTune/Melodyne】

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世に出ている音楽のほとんどのボーカルパートは「ピッチ補正」されています。

ピッチ補正は、一昔前のPefumeのようなケロケロ系から、ほとんど気付かないナチュラルな補正まで多種多様です。

音楽の聴き方は誰に教えられた訳でもなく、人それぞれなので、受ける印象も人それぞれです。

今回は、そんな賛否両論あるピッチ補正について考えてみます。

ケロケロとナチュラ

大まかに区別すると、強めの加工であるケロケロ系と、一般的によく使われるナチュラル系に分かれますが、

ケロケロ系の場合、「これずるくない?」と思う方もいるでしょう。

なぜずるいと思ってしまうのか。

それはきっと「歌唱力が無くても上手に歌えてしまう。歌の実力がなくても人前に出て歌ってお金貰って、ずるい!」という感情と推察します。

こう思う方は「歌」に価値があると思っています。

歌唱力です。

ただ、一般的に「歌に価値がある」と思っても仕方ありません。
カラオケ、テレビの音楽番組など、歌が主役というイメージが出来ています。

一方で、DTM系の制作側としては、オケ(歌以外の演奏)を含めて楽曲です。

「歌」は全体の一部です。

強めの補正でもナチュラル補正でも、楽曲としての完成度が高まればどっちでもOKなんです。

このリスナー側と、制作側の違いにより、「ずるくない?」のような考えのズレが生じてしまうのです。

価値があるのはどこか

先ほども言いましたが「歌」に価値がある場合は、ピッチ補正することで価値が下がってしまうかもしれません。

氷川きよしがPefumeばりのケロケロ加工でワンマンライブしたらきっとクレームになりますよね。

AKB48がケロケロ加工でライブしたら、ファンは歌唱力というよりは「アイドルの生の声」が聴きたい心理が多いと思うので、加工して個性が消されるのは納得いかないはずです。

※余談ですが、Pefumeが当初すごかったのはアイドルなのに声の個性を消したから、でした。曲を制作している中田ヤスタカはアイドル作曲家ではないので、楽曲としての完成度を高めるためを考えてケロケロ加工し、その自然に起きた「掟破り」こそが良い違和感となり、楽曲の完成度と合わせてブレイクしました。

一方で、歌唱力ではなく「楽曲そのもの」に価値があれば、ケロケロ系のピッチ補正しても価値が下がることはありません。

音楽プロデューサーが自ら歌唱している場合など、tofubeatsが僕の中では1番良い例です。

こういった方は、楽曲全体を制作していることに価値があるので、歌は一部なのでケロケロ系でも価値は下がりません。

 そのアーティストとしての商品が「歌唱力」なのか「楽曲全体をクリエイトすること」なのか。

ここが大きいポイントのようです。

おわりに

最終的には、グッとくるかどうか、です。

ケロケロ加工した結果、人間特有のズレが失われ、良い要素まで消してしまうことになります。

迷ったときは自分の価値はどこあるのか、を考えてみると良いかもしれません。